自分で考えて勉強できるようにすること。
これができれば一番いいよね。
どの親も我が子がそうなれば一番いいと思っているはずだ。
と考えると、自分で勉強できない子が塾に来て、塾には自分で勉強できるように
して欲しいということを望んでいるということになる。
もちろん、そうじゃないケースもある。
そういうケースはここでは触れない。
そう考えると塾での指導は自分でできるようにすることが目的となる。
ココスタはその点をどうしているかというと、自分でできるようにするために
まず、やり方を教える。
できるようにする。
で、自分で解かせる。
結局はこのくり返しになっちゃう。
でも、それより大事なのはどうしてそうならなきゃいけないかを
教えること。
そのために、話をすることはとても必要なことだ。
人はたくさんの情報の中から自分で道を選択していく。
だから、たくさんの情報を与えていく必要も同時にある。
その中から、自分で考えてそうなりたいと思った時に、今勉強することが必要だ
と思えば、勝手に自分で勉強する子が出来上がる。
そういう事だと思う。
補助輪なしの自転車で最初は支えてあげるけど、その後は自走できるように。
そうやって人は成長するし、勝手に走る。
じゃあその核の部分はというと、「メリット」なのかな。
自転車に乗れるとこういうメリットがあるよ。
勉強できるとこういうメリットがあるよ。
あとは、興味の持続。
そうなれば、一番良い。
そういう風に持って行けるように僕自身も成長しなきゃな。
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